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Aug 28, 2010

「絞死刑」

ポスト @ 0:06:01 | 日記

死刑論議のためにと死刑の執行場所が公開された。いままで,公開されたことはなかったとのことである。しかし,45年ほど前の学生時代に,今回公開されたものとほぼ同じものが映画の場面ででていた。ATG作品で大島渚監督の「絞死刑」である。このとき,映画のパンフレットも購入し,このパンフレットに詳しく刑場の内容についても説明がなされていた。おそらく,関係者らからの丹念な取材に基づいて映像化されていたものと思われる。そのパンフレットに絞死刑の執行について図入りで解説されていたことが妙に記憶に残っていた。今回の公開でその写真や構造の図面が掲載されていたが,改めてあのとき映画でみた刑場と同じものであったと思い起こされた。

あの映画では,国家による殺人とはどんなものか,そんなことを問いかけるものであったと思う。刑務所の職員のアップの後ろに象徴的に日の丸が写っていた場面があった記憶が残っている。死刑論議は,刑場が公開されるだけでは,その内容は深まらない。犯罪被害者の立場からの死をもって償わなければ,納得できないとの復讐心だけを強調するような論議も,仇討ちを国家でするということでいいのかと言う疑問が残る。冷静な,多角的なそして命を論じる極めて哲学的な論議を一日も早く始めるべきである。そして結論がでるまでは,執行の停止するとかの工夫が必要である。

Aug 26, 2010

野村かつ子さんの訃報

ポスト @ 0:48:40 | 日記

野村かつ子さんの訃報が伝えられていた。1度だけ手紙のやりとりをしたことがある。今から20数年前のことである。日本の消費者運動の草分けと紹介されていた。私が接触したときは「海外市民活動情報センター」を主宰されていたときではないかと思う。享年からすると既に70歳は超えられていたことになる。

日弁連の消費者問題対策委員会からアメリカの消費者教育について調査にでかけることになり,そのための資料集めをしていたときであった。野村さんがアメリカの消費者運動の旗手といっていいラルフネーダー氏の活動を日本に紹介されていたので,その資料等の提供をお願いしたのである。一番の目的は,ラルフネーダーさんにアメリカであうための中立ちをしていただこうと思ったのであった。しかし,野村さんは,ラルフネーダー氏の活動を日本に紹介をするにあたって,たぶんもう60歳近くになっていたと思われるが,独力でまずは英語を学び,そしてこつこつと翻訳をしながらアメリカの消費者運動,ラルフネーダー氏の活動を紹介する仕事をしていたとを知った。そのことを知って,安易に野村さんにお願いしてラルフネーダーさんとのアポイントをとってもらおうとしていることが恥ずかしくなったのである。そこで,ラルフネーダー氏の最小限の情報提供を野村さんから得て,ネーダー事務所とのやりとりのなかで,同事務所を訪問していろいろと話を伺うことができたのであった。

最近は,メーリングリストなどで,何でも質問をして,安直に情報を入手しようとする人が多い。そのメーリングリストの性格から,もっと自分で考えてから発言して欲しいと思うこともある。情報をえることには便利になったが,情報を得る努力と自分で考えることをきちんとして問題点を自分なりに理解して発言することが少なくなってきているのではないかと感じることがある。野村かつ子さんの訃報に接し,一度だけの手紙だしたこととともに,強い意思でいつまでも情熱をもって活動されていたことを改めて思い起こされた。

Aug 24, 2010

壺坂霊験記

ポスト @ 16:51:08 | 日記

昨日、左目の白内障の手術をした。今朝、眼帯がはずされた。これで、両眼に曇りのないレンズが組み込まれたことになる。視界がおもいの外、明るく、クリアで色彩豊かであったことに気づかされ、驚きもしている。この感覚とともに思い出されたのは「壺坂霊験記」である。これは、浄瑠璃義太夫節の世話物と言われるひとつである。この義太夫節の記憶ではなく、思い出されたのは壺坂霊験記の一説を引用した随想文のことである。

今の憲法が公布された時の国務大臣金森徳治郎氏の「憲法随想」のなかで引用されていた話である。金森氏は憲法が制定されるまでの作業に関わっていた。そのときの感想を書いていたのが昭和22年ごろ発刊されたこの本であった。憲法ができあがったときの感激を「見えた、見えた、目が見えた」と壺坂霊験記の一説を引用して解説していた。それまでは曇ったレンズで世の中が良く見えていなかったが、新しい憲法のすっきりとしたレンズでみることができるようになって世の中がくっきりとみえるようになったとその感激を伝えるものであった。白内障の手術をして、くっきりとものが見えるようになった感激に似たものではなかったかと考えるのは少し大げさか。「憲法随想」は、私が生まれた頃、発刊されていたものである。そして、質の悪いいまにも分解しそうなぼろぼろの紙に印刷されたこの本に司法試験の受験勉強をしていた大学4年生のときに、神田の古書店で見つけて購入した本である。この本を読んで、憲法のできるまでの議論が生き生きと語られていたことに感銘を受けた。古い諺なども至る所に引用されていたように記憶している。「1灯を掲げて暗夜を行く」は憲法9条のところで引用されていたか?

Aug 23, 2010

民主党の代表選

ポスト @ 0:35:54 | 日記

民主党の代表選挙の話題がニュースで流れている。選挙に強いという小沢さんの代表選への出馬がささやかれている。すでに多くの世論は菅さん続投でいいということのようである。当然のことであると私も思っている。もともと小沢さんの手法は民主主義になじまない旧来の権力闘争のやり方をそのままに実践している。あたらしい市民政党をめざした民主党の理念とは異なるように思える。さらに,とうてい納得のできない金の動きについても,政治と金の嫌なしがらみを持ち続けている人でもある。ここまで民主党を古い手法で大きくしたその功績は十分に評価されるべきであると思われるが,代表となって総理大臣となるというのは時代を後戻りさせるものとしか思えない。

私は,まだ民主党ができていないころ,社民党の参議院議員で役員をしていた中学時代の恩師から,社民党は労働組合の政党から市民政党へ脱皮して政権交代可能な政党に生まれ変わる必要があり,そのための外部からの意見を聴きたいので,その会に参画して欲しいとの要請を受けた。そしてなんどかその会が持たれて,どのような政党を目指すか基本理念などを模索していた最中に中央で民主党がたちあがり,民主党に合流することによってその会を解散した。岡山の民主党の創世記に関わっていたことになる。その時の夢であった政権交代が成し遂げられたのである。従来のしがらみのある政治から,民主主義を大切にするクリーンな市民の声を代弁する政党へと成長を続けている途中である。やっと勝ち取った政権交代である。すぐには大きくは変えられないだろう。しかし,後戻りしてはならない。お金に関してクリーンな政党であってほしい。ここは菅さんに続投してもらうしかないではないか。

Aug 22, 2010

司法修習生

ポスト @ 0:52:21 | 日記

岡山の司法修習生の実地研修中に海上保安庁のヘリコプターが墜落するという事故があり,当初の発表に司法修習生の研修のことが伏せられていたために,事故の結果の重大性とともに公表をめぐって大きく報道で扱われている。

この司法修習は岡山地方検察庁での日程のなかで行われている。司法修習生の身分は最高裁判所に所属し,各実務地の地方裁判所に配属され,その各地方裁判所から委嘱を受けて一定の期間,地方検察庁,弁護士会が修習を担当していることになっている。その意味では,今回の件は岡山地裁,最高裁とも情報を収集し,対策を協議しているはずである。37年前に私も岡山地方裁判所に配属となり,岡山地検で収集中に海上保安庁の修習があった。そのときは,海上保安庁の職務内容などについて講義を受け,少しのあいだだけ巡視船に乗せてもらっただけであった。この場所から児島競艇場にいき,ここではスリ犯検挙とレース管理と舟券の仕組みの話を聞き,舟券を実際に購入したりすることを経験した。「連勝・複式」とか初めて聞く言葉の意味を知ることができ,実務家となってもすぐに事件処理に役立った。

地検の修習では,事件処理に関して地検が様々な機関と関係が職務上あり,実地研修の材料には事欠かない。私も,取調,起訴か不起訴かを決める決済など本来の検察実務を行うのはもちろんであるが,事件後の死因解明のための死体解剖,パトカーの夜の試乗,列車試乗,自衛隊の見学,酒税のことに関してビール工場での税務署長の話など多くのことを経験した。司法試験に合格したばかりの状況のなかで,こうした社会の生の事実に触れておくということは大切なことだと思っている。今回の海保のヘリコプターのデモストレーションが,地検からの修習のための企画要請に対して過剰なサービスを提供しようとして,そのことが事故の遠因といえるようなことになっていないことを信じたい。

私たちのころは,この司法修習期間は2年間あった。そのうち,16ヶ月間は,各地の地方裁判所に配属となる。その中の4ヶ月間は検察庁での修習であった。今の制度は修習期間は1年間になっている。1年間であれば,机上の修習だけでほとんど費やされて,いろいろと体験することは大きく割愛されてしまっている。今回の海保修習はそのなかでの貴重な体験のひとつであったと思う。さらに,この1年間の司法修習の間は修習専念義務があるがこの11月からの修習生には給与は支給されない。法曹への道は,裕福な経済的余裕のある者だけに開かれているというゆがんだ法曹養成の制度となってしまいそうである。

Aug 20, 2010

「玄米先生の弁当箱」

ポスト @ 0:30:56 | 日記

先日,家裁の調停室待合室で「家栽の人」が置かれているのをみかけて,魚戸おさむさんのことを懐かしく思い出したことをこのブログで書いた。嬉しかったことに,それがたまたま魚戸おさむさんの目に触れていた。そして,書き込みまでしていただいていたことは嬉しいことであった。実は,もう15年ほど前のことになるが,ある集まりで,たまたま宿泊で同部屋となった初対面の人から,「家栽の人」に似ていますねと言われたことがある。私が弁護士をしていることも知らないはずの人である。しかし,そう言われた時は,あの「家栽人」の雰囲気を感じていただいていたならと,とても嬉しかった。

昼食をよく食べに行く喫茶店に久しぶりにでかけた。夏休みがあったり,ここのところ昼食時に事務所にいないこともあり,しばらくここにはでかけていなかった。この喫茶店にはビッグコミックが置かれている。そして,玄米先生の弁当箱が連載されているビッグコミックオリジナルがあるのである。新刊が届いていた。今回の話は,伝統ある古い木樽でつくる醤油のことであった。ステンレス樽でつくる醤油とどこが違うのか,醤油だけでなく,そこで働く人々の心の問題として何が命をはぐくんでいるのかを考えさせてくれる物語であった。そんなにうんちくをもっているわけではないが,感覚的にはフランスワインとハイテクでつくるカリフォルニアワインとはどこが違うかの問題と同じように思えたが,そう考えるのはカリフォルニアワインに失礼だろうか。

Aug 19, 2010

前期試験の採点

ポスト @ 0:39:34 | 日記

担当していた「消費者法」の前期試験の採点を終えた。明日が大学院に必着でなければならないものであった。白内障の手術という個人的には大きな出来事があり,ついその提出期限を失念していた。改めて,各答案を読み直し,採点をした。手術をした右目は,眼前40センチぐらいのところに焦点があっているので眼鏡をかけなくてもくっきりと読むことができる。眼鏡をかけ始めたのが高校生のときであったから,久しぶりに健康な眼であった頃の感覚をデスクワークで味わっている。

答案の内容は,それぞれ合格点であった。論文の答案の書き方としては未熟なところがあるが,私が講義を通じて伝えたかったことをきちんと受け止めて,理解していたことが答案を通じて表現されていて,嬉しく感じた。そして,設例問題では,おそらく実務を担当している弁護士でもこのようには整理して問題を考えることはなかなかできないのではないかと思えるほどきちんと前期授業で触れたことに精一杯の理解を表現しようとしていたことが伝わってきた。担当した学生たちが,実務家として活動する時がきたときに,社会に生起する問題を,きちんとした視点で,法律を駆使しながら,正義を実現していく力を持った法律家となっていくことを期待している。何年後の彼らに会うことが楽しみである。